5:1-4 「祭司としての前提」

ヘブル 5:1-4

大祭司はみな、人々の中から選ばれ、神に仕える事がらについて人々に代わる者として、任命を受けたのです。それは、罪のために、ささげ物といけにえとをささげるためです。
 2 彼は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な迷っている人々を思いやることができるのです。
 3 そしてまた、その弱さのゆえに、民のためだけでなく、自分のためにも、罪のためのささげ物をしなければなりません。
 4 まただれでも、この名誉は自分で得るのではなく、アロンのように神に召されて受けるのです。

ここで本書の著者は、祭司となるための4つの前提を教えています。

❶ 祭司は、人間でなくてはなりません。
なぜなら、神に対して人間の代表であるのが祭司だからです。
大祭司は「みな」とあるのは、あらゆる祭司制度の中で常に保たれなくてはならない重要原則であるのを教えています。
御使いも、たとい神ご自身であっても、祭司としての役割は果たせないのです。


❷大祭司は、定められている祭司制度を死守せなばならず、それはささげものといけにえです。
「ささげもの」とは血が注がれることを意味し、「いけにえ」とはその血の動物の肉のことです。


❸2ー3節にある、人間性ゆえに憐れみと同情がなくてはなりません。
彼自身も弱さを持っているのです。彼が代表する人々と共有する経験を通っていなくてはならないのです。ゆえに、優しくできるのです。
全ての人間が直面する誘惑に、大祭司も同様に苦しんで来ました。
「思いやることができる」とは、ギリシア語で「両極端の中間に入る、バランスをもたらす」を意味する原語が使われています。
祭司は、無関心と感情移入の極端の中間にいます。
彼は民の罪の窮状を知って深く憐れみます。同様のテストをくぐり抜けて来ました。
また自分自身も罪を持っているので、まずそのために捧げ物をしなくてはなりません。その後、人々のために働けます。
この点が地上にいる大祭司と、天にいる大祭司(主イエス)との違いです。

❹大祭司は、神ご自身から任命を受け取らねばなりません。
アロンのように、神様からその役目に呼ばれる必要があります(民数17:8)。
コラは、アロンに反逆したため裁きを受け殺されました(民数16:1-15)。
サウル王は、祭司しかできないはずの役割を無理にしてのけたため、王位から退かれました(1サム13:5-14)。
ウジヤ王も、祭司の役割である香を焚いたので神様が彼を打ったのでした(2歴代26:16-23)。
 だれも自己願望や他者の推薦によって祭司職に至ることはできないのです。そこには冷厳な神による召と承諾が必要です。