1:5 「イエスは特別な御子」

御子の優越性を述べた後に著者はその理由を挙げなくてはなりません。

しかも読者であるユダヤ人と共通の土台に立たなくは議論は成立しないのです。それはもちろん旧約聖書に他なりません。

5節から13節まで7つの旧約聖書箇所を引用しながら御子の御使いに対する優越性についての根拠を展開していきます。

 ここでは第一の根拠を取り上げます。それは詩篇2:7からの引用です。

神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。 「あなたは、わたしの子。 きょう、わたしがあなたを生んだ。」 またさらに、 「わたしは彼の父となり、 彼はわたしの子となる。」 (ヘブル1:5 )

For unto which of the angels said he at any time, Thou art my Son, this day have I begotten thee? And again, I will be to him a Father, and he shall be to me a Son? (Heb 1:5 KJV)

 これは旧約の詩篇2章7節にあるメシア預言です。
新約聖書にはこのことばが3回引用されています。ここと、
使徒13:33、ヘブル5:5 です。

「あなた」は子なるメシア(キリスト)、「わたし」が父なる神。

「きょう」とはいつか?
それは、新約聖書に引用されている3箇所の文脈から、メシアが復活され、昇天し、父なる神の右の座に着座されたときであることがわかります。

 御子が相続者であられ、特別な意味での「子」であられ、父なる神との特異な関係を持っておられると教えるものです。御子こそは、たった一人の神が「生んだ」子 “ begotten son” です。

その原語は、エホバの証人のようなカルトが教えているような「誕生」や「起源」を意味しているものではありません。英語訳では”only begotten”  となるのですが、この原語は「長子としての権利を持ったもの」という意味のものです。そしてこのような使われ方はどの御使いにも一度としてされたことはありません。

 永遠の昔からイエスは父なる神に対して御子であられましたが、復活を通じて御子は特別な意味での「(父なる神が生んだ)ひとり子」: ”only begotten son” と呼ばれる地位に着いたのです。

これは当時のローマ文化を踏まえた上での書き方です。ローマの家庭に生まれた子供はその誕生から子供であることには違いないのですが、成人に達したとき、父親から改めて「子」であると宣言されていました。その絵がここで用いられています。御子は永遠に父なる神に対して「子」であられますが、ある時点で特別な意味において「子」であると宣言されたのです。それが復活のときでした(使徒13:33、ローマ1:3~4)。

 御使いは旧約聖書では常に、“sons of God”と複数形の「子達」という形で現れます。例外はありません。しかもそのとき常に集合体での言及であり、個人的に「神の子」と言及されている箇所はありません。旧約聖書の歴史で一度として御使いは  “a son “と呼ばれていないのです。創世記6:1~4、ヨブ1:6、2:1、38:7、詩篇29:1など。

新約聖書に入り、信者たちも「神の子たち」”sons of God” と呼ばれていますが、御子だけが「(父なる神が生んだ)ひとり子」であられます。

御子は御使いも信者にもないユニークな関係を父なる神に対してお持ちです。

御子の地上生涯でそのように特異な「ひとり子」であるとの宣言を受けた箇所がいくつかあります。

①    御使いガブリエルが母マリや語った言葉の中に。ルカ1:35

②    御子が洗礼を受けられたとき父なる神の言葉の中に。マルコ1:11

③    御子の変貌時に父なる神の言葉の中に。ルカ9:35

④    復活によって特異な神の子であると宣言。ローマ1:4

信者や御使いが踏み込めない特別な関係をイエスは父なる神に対してお持ちであられます。