新約聖書の冒頭は人名ばかりで分かりにくいのですが

マタイ福音書連続講解説教①  マタイ1章1~17節

「メシアの系図・その1」 ~ユダヤ人のためのメシア~

 {メッセージからの抜粋}

 

 聖書とは、何ともとっつきにくい書だ。

新約聖書の最初のページを読んだ日本人なら、誰でもそのような感想を持つに違いない。

カタカナ人名の羅列。主イエスの系図が書かれているが、それがいったい私に何の意味を持つというのか、と腹立たしさまで覚える。

 

ところが、ユダヤ人にとってはこれが大きな意味と内容を持つ。

それも仰天するほどの大きさに違いない。

ユダヤ人は紀元後およそ1900年間、イエスの名のゆえに迫害を受けてきた。

「イエス」とは「クリスチャン」のものであると思っていたのに、自分たちの先祖のアブラハム、イサク、ヤコブという族長の末裔であることに腰を抜かすに違いない。

 

「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」

このマタイ1章1節をユダヤ人が受け入れたとき、彼らは「メシアニック・ジュー」と呼ばれる。それは、イエスを信じたユダヤ人のことである(迫害の歴史ゆえ、「クリスチャン」とは名乗れない)。

 

この1節は、堂々としたイエスがメシア(キリスト)であることの宣言文である。

v  「アブラハムの子孫」とは、メシアの称号であるからだ。

 メシアは「女の子孫(創世記3:15)」から生まれるとエデンの園で早速も預言され、その後、「アブラハムの子孫(創世記22:18)」から輩出されると預言され、その成就がイエスにおいて成されたと謳っているわけだ。

神が人間を救いに導くためにアブラハムと契約を結ばれるが、その契約の内容を大きく3つのカテゴリーにまとめることができる。

  • 土地に関して

  • 子孫に関して

  • 祝福に関して

主イエスが全世界に祝福をもたらす、約束の「子孫」であるというのが聖書の論理である。

「約束は、アブラハムとその子孫に告げられました。神は、「子孫たちに」と言って、多数をさすことはせず、一人を指して「あなたの子孫に」と言っておられます。その方はキリストです。」(ガラテヤ3章16節)

 

v  「ダビデの子孫」もまた、メシアの称号である。

Ⅰ歴代17:11~15は、預言者ナタンが神のことばをダビデに告げている場面。

そこで彼の「世継ぎの子」とは、次世代のソロモンでなくメシアのことである。

メシアが現れたなら「とこしえ」に継承・確立されるものが3つあるとされている。

  • 王朝

  • 王座

  • 王国

これらはソロモンによらず、主イエスの初臨時(2千年前)でもなく、将来主イエスの再臨において成就されるものである。そのとき、アブラハムと交わされた契約(土地、子孫、祝福)が完成されることになる。

 

 新約聖書の冒頭から、思いっきりユダヤ性に富んだ話が始まる。

 神が深く人間と関わろうとされるなら、ある一つの文化に徹底してのめり込まなくてはならなかった。神はすべての文化に共存する共通項を引っ張り出して来て、そこにご自身の普遍性や公平性とを構築されようとは成されなかった。その場合、とっても薄っぺらい関わり方となるだろう。

神様は私たちといのちの取引をされるほど、私たちにぞっこんであられる。

ユダヤの文化に基盤を置いているからこそ、それを訪ねる事により、そこに隠された宝を発見できるのだ。