過去を選択的に捨て、将来の栄冠ゆえに、今を生きるのが信仰者

マタイ福音書連続講解説教24  マタイ10章24~10章42節
「メシアによる12使徒の派遣―その③」


{メッセージからの抜粋}

今回はマタイ10章から3回目の学びです。

この箇所を3つに分けて学ぶことができます。

Ⅰ 弟子としての心構え(10章24~33節)

Ⅱ 弟子としての道(10章34~39節)

Ⅲ 弟子としての報い(10章40~41節)

 

メッセージ・ノートのイントロで詳細してますが、ここでの主イエスからの教訓は、弟子たちに対するものであることを確認しなくてはなりません。

弟子と信者とは違います。

ガリラヤ伝道で多くの人が信者となりましたが、彼らの思惑に当てはまらないと分かると、彼らは主の元を離れていきました(ヨハネ6:67)。

その群集がやがて「十字架につけろ」と叫び出すのです(マタイ27:23)。

一方、弟子たちにはやがて天の御国での確かな報いが約束されています。

主の働き人のために、たとい水1杯でも与えるなら、決して漏れることのない報いとあります(マタイ10:42)。

 

話はここで変わりますが、大学センター入試が終わり、今日の朝刊にはその模範解答が掲載されています。

そして新聞一面を使った広告に、ある予備校のコピー文が掲載されていました。

  「自分の夢まで、自己採点しないでください」

うまいこと言うなぁ、と感心しました。

受験生たちは過去の勉強の積み上げの結果、現在の試験結果があります。

その結果の自己採点がたとい厳しいものであったとしても、夢を捨てずに将来に向かってほしい、というメッセージなのでしょう。

 

私たちは現在を生きているつもりでも、多くの場合、過去を引きずって生きています。

過去に上手くいかなかったことや失敗したことを忘れることができずに、今回もどうせ上手く行くはずない、と潜在意識が決めつけてしまうのです。

思考が行動の枠をはめ、成功への道筋にブレーキをかけてしまうです。

スポーツの世界で、その枠を取り去る試みがイメージトレーニングです。

うまくいったシュミレーションを頭の中で繰り返すことにより、成功行動の先取りをしようとするものです。

 

クリスチャンには強みがあります。

未来が、現在の私を引っ張るという強みです。

主イエスからの赦しをいただき、やがて復活して天の御国を受け継ぐという事を知っています。

約束されている将来の保証に今を生きるのが、私たち信仰者です。

そして貴方が主のためにしたどんな小さな事も記録されていて、やがてそれに対する正当な報いを受けるのです。

主のために行った信仰の業は投資であり、どんな上場企業も及ばないリターンを受けることになっています。

私たちは将来のこの希望に向かって、今の信仰生活を生きるのです。

主の御心に従う、弟子としての道を。

 

ちなみに主ご自身も、将来に約束されている報いのゆえに、厳しい信仰の道を全うされました。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。 (ヘブル12:2 )

父なる神様のところで受ける栄誉がある。その喜びゆえに、十字架をも忍ぶことができたというのです。

将来の報いが主を支えたのです。その点でも主は信仰の完成者です。

 

パウロも同様に、将来にやがて与えられる一事に励んでいる、と言っています。

それは彼に約束されている栄冠です。

兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、

キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。 (ピリピ3:13-14)

 

過去の失敗にとらわれず、将来の栄冠を目指して、私たちは現在の弟子としての道を全うさせていただきましょう。