「キリスト教の本質~ユダヤ人と異邦人:新しいひとりの人」

マタイ15章29~39

 

「キリスト教の本質~ユダヤ人と異邦人:新しいひとりの人」

 

~マタイ福音書連続講解説教40

メッセージノートと聖書本文ははこちらから:

http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/529-3940

 

 {メッセージの抜粋}

  

マタイ15章は、キリスト教の本質を明らかとした章として学んできました。

             1~20節:パリサイ的ユダヤ教との対比:パリサイ人の偽善性

             21~28節:異邦人との対比:ユダヤ人の優先性

             29~39節:歴史的な帰結:ユダヤ人と異邦人の一体性

 

本日の記事は、デカポリスという異邦人の場所が舞台となっています。

 

そして、弟子たちを引き連れての第3回目のリトリートでした。

 

その場所で、主は大勢の異邦人、

「足のなえた者、手足の不自由な者、盲人、

口のきけない者、そのほかたくさんの人 」(30節)

をいやされておられます。

 

 

これは、メシアとしての業が異邦人にも広がっていることを体現しますが、

ミニストリーとしては例外的なものです。

 

先回学んだように、

初臨のメシアはあくまでもイスラエルに遣わされた方だからです。

 

それでは、異邦人社会でのこの主の働きをどのように受け止めれば良いのでしょうか。

 

 

これは「メシア的王国」の先取りであり、

やがて成就する預言のひな形であると考えるのが良いと思われます。

イザヤ35章。

 

 

さらに、新約での新しい時代・教会時代を予表する出来事であると捉えることもできます。

 

 

 

教会時代の特徴について、聖書は次のように教えています。

 

 

①教会は、ペンテコステ以後に始まる、メシアを地上に体現した「からだ」である。

 

②教会の構成員はユダヤ人と異邦人の両者から成る。

 

③両者は「新しいひとりの人」である。エペソ2章11~21節。

 

             われわれ異邦人は、かつて約束の契約からは他国人であり、望みなく、神もない者たちだった。12節

             両者を隔てていた壁が壊された。神殿内の隔ての壁。14節。

             律法がメシアの死によって廃棄された。15節。

             今や、両者はメシアにあって一つの体:共同体である。16節。

             同一の御霊によって父なる神のみもとに近づく者とされた。18節。

             異邦人はユダヤ人と同様、同じ国民であり、神の家族。19節。

             メシアを礎石として、一つの建物(教会)の会員として建て上げられる。22節

 

 

 

そしてこの教会時代が始動するためには、

モーセの古い契約に代わる、

メシアによる新しい契約が締結される必要がありました。

 

 

そのために流されたのが、メシアの尊い血潮です。

 

 

異邦人のデカポリスでパンの奇蹟が行われていますが、

ヨハネ福音書からの見方によれば、それはメシアの肉体が割かれることを意味しています。

 

 

つまり贖いの死を予表したものです。

 

①ガリラヤ伝道の締めくくりでは、5千人の給食の奇蹟があった

 

②異邦人の地での伝道の締めくくりでは、4千人の給食の奇蹟があった

 

③エルサレムでの受難週の最後の晩餐の場面では、パンを裂く教えと聖餐式が制定された

 

 

『イエスは言われた。

「わたしがいのちのパンです。

わたしに来る者は決して飢えることがなく、

わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。

(ヨハネ6:35 )

 

 

 

主の十字架は、こうして見ると神学的に3つの重大な意味を含んでいます。

 

①新しい契約が成就したときです

 

②モーセの律法が無効となったときです

 

③異邦人がアブラハム契約の祝福に預かるようになったときです