直接交渉はリスクが大きい

「教会内での罪の処理」

マタイ18章15~ 20節

~マタイ福音書連続講解説教48~

聖書本文とメッセージノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/8152048


❶「奥義としての御国」であるキリスト教会

「御国」(Kingdom)とは何であるか? 

聖書には5つの概念が見て取れます。

「キリスト教会」がその一つであるのですが、
それは旧約聖書には啓示されておらず、
マタイ13章に至って初めて明らかとされました。

マタイ16章と18章には「教会」という言葉が出て来ましたが、
福音書ではそこだけで使われています。

「教会」という「御国」では、
その王であるメシアは天にあって統治されています。

王国の臣民である我々信者は、地上に王が不在ですので、
王の遺された言葉と聖霊が導いて書かせた言葉、
つまり新約聖書を頼りにして王の御心を実現して行くのです。

マタイ18章では、
教会内での統治(政治)の有り様を王が示してくださった所と言えます。

今回の箇所は、もしその教会内に罪の問題が起こった際に、
どう対処すれば良いのかを王が教えてくれた箇所です。

王を悲しませる罪を放置せず、除去せねばならないのですが、
それには方法があります。

私達は、往々にして罪の問題に対処するよりも、
人との対立を避けるがために罪をウヤムヤにしがちなのです。

あるいは、噂話やゴシップに流されてしまう悪癖に傾きやすいのです。

そこで王が示された4つの対処法を学んで見ましょう。


❷罪を犯した人への対処方法(15~17節)

 1. 個人的な直接交渉:「行って、あなたと彼だけの間で責めなさい」

先ず、傷つけられた人は、
罪を犯した人と直接面談して話し合うように勧められています。

レビ19:17が旧約聖書にある背景です。

「責めなさい」(エレンワソン)とは、
「認めさせる」(ヨハネ16:8)のことであり、
罪を糾弾するのがその交渉の目的ではありません。

 2. 証人を同行する:「ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行きなさい」

申命記19:15の教えと合致します。

これも個人的中傷の類でなく、客観的な証拠を確認するためのものです。

 3. 教会の裁定:「教会に告げなさい」

それでも当人が罪を認めずに改めることをしないのであれば、
教会という秩序ある組織に訴えねばなりません。

ここにある教会とは、物理的に存在している各地方教会のことです。

それに対して16章にある教会は、
時代を超越し、全世界で霊的に新生した信者をメンバーとしたもの、目に見えない普遍的な組織を意味しています。

 4. 追放する:「異邦人か取税人のように扱いなさい」

教会の裁断にも従わない場合は、最後の手段として、
その交友から切り離すことが教えられています。

具体的には除名などの処分であり、
のちになってパウロがコリント教会のあるメンバーに対して執行しました(Ⅰコリント5:11)。


❸主イエスの同席と承認(18~20節)

しかしこれらのステップを踏むのは何と困難なことでしょうか。

しかし主の言葉を踏襲して行く時に、
そこに主も同行してくださる約束が記されてあります。

「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、
わたしもその中にいるからです。」
(マタイ 18:20 )

この聖句は多くの場合、文脈を無視して取り上げられて来ました。

まるで2ー3人の信者の集まりでも、
主が臨在してくださっている、
そこも立派なキリスト教会だ、というような説明の仕方で。

それは当ホサナ教会のような小さな群れには
励ましとなる解釈には違いありませんが、本意を得ていません。

ここでの「2ー3人」とは、その直前に出てくる証人や当事者たちのことです。

同様に

「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。」 (マタイ 18:19 )

とある聖句は、複数者での祈りの効用を教えたものではありません。

たとい2人でも3人でも、
当事者達が真実になってその困難極まる和解のプロセスに臨むのなら、
主はそこに同席され、
父なる神も祈りに応えられ、
交わりが回復されるという意味です。