劣等感や優越感を持ってしまいやすいのだが

マタイ福音書連続講解説教④  マタイ2章1~12節

「マゴスの来訪・その1」

 {メッセージからの抜粋}

 


ヘロデ王の関心は常に自分自身の王位にあった。
王位簒奪の恐怖におびえ、他者への警戒心・猜疑心を抱く中で安らぎや平安からは程遠い生活であった。

一方、マゴス達の関心事は自己を離れたところにある。
聖書と伝承とが預言している「ユダヤ人の王」として生まれたメシアに会い、礼拝をささげる事に関心の焦点が当てられていた。その一つの目的のために、キャラバン隊を組織しての数ヶ月間に渡る長旅を実行した。自己の人生・生命をも賭けたリスクがそこにある。
そのリスクを犯すほど、その目的には崇高な価値があると踏んだのである。

私たちが劣等感や優越感を抱くときは、他者と比較するとき。己に関心が向けられていて、己に捕らわれているとき。自己保身から猜疑心も強くなり、平安を失うのだ。

この自己への奴隷状態から救う方が、メシアなるイエスである。
私たちの関心事が神に向けられ、神の栄光を現すことに焦点が定まるなら恐れるものは何もない。
たとい長旅の犠牲を友人が理解せずとも、凶悪なヘロデの顔色がどう変わろうと、恐れずに進めるのだ。

イソップ童話に有名なウサギと亀の競争がある。

その童話から引き出してくる教えは、「油断大敵」であるとか、「慢心に気をつけよ」、「地道にコツコツと歩むものの強さ」というものだろう。処世訓としてはある程度役にも立つ。

だが聖書的適用は、さらに衝撃的なものとなる。
この二人の勝負はすでにスタートラインで決着がついていたのだ。なぜならウサギは隣の亀を見た。亀の歩く能力と比較して勝利を確信したのだが、当の亀の見ていたものは違う。亀が見ていたものはウサギでなくはるか丘の上にあるゴールだけだったのだ。相手がウサギだろうが、馬だろうが、新幹線だろうがどうでも良かった。亀は一つのことに焦点を定めたのだ。それが勝利の要因となった。

使徒パウロのことばを私達の指針とさせていただこう。


「この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリストイエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです。」(ピリピ3:13~14)