芥川龍之介よりも秀でたお方

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「招待された宴会」
マタイ22章1~ 14節
~マタイ福音書連続講解説教63~


サンヘドリン「祭司長、民の長老たち」(23)からの吟味・論争に
主がたとえ話を持って答えている箇所が続いている。

彼らの問いを再度確認して見よう。21:23。

①一体何の権威があって
神殿から両替商やいけにえ用動物を追い出したりしたんだ!

②お前にその権威があるというなら、それを与えたラビとは誰なんだ!

主は彼らからの詰問を直接答えるのを拒否された。
しかし、たとえ話から間接的に答えておられる。

本日はその3回目、最後のたとえ話である。

この3回目は、第1と第2のたとえ話の展開後の時系列順としてのものである。
つまり連続小説の最終回と言える。

さらに、第1と第2のたとえ話を包括してまとめているとも言える。
この第3のたとえ話も、内容から3つに区分される。


❶ 第一のたとえ:ユダヤ人のメシア拒否の罪とその結果(2~7)

  •「王」は父なる神、「王子」はイエス、「招待しておいたお客」はユダヤ人

  •「披露宴」が原語で複数形なのは、約7日間ほど続くユダヤ式披露宴ゆえ

  •宴会の準備が整うとしもべを遣わして招待客に伝えるのがユダヤの習慣

  •最初のしもべたち(3)とは、B.ヨハネとその弟子たちであろう

  •別のしもべたちとは、その後の12弟子たちであろう

  •宴会の準備が「何もかも整いました」とは、
メシア的王国が樹立されるためのあらゆる準備が完了されたことを示す。

  •B.ヨハネも、主イエスの宣教メッセージも同様に
「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」であり、
それは旧約聖書預言成就としてのメシア的王国(千年王国)が
今や到来しようとしている緊迫感の中でのものであった。

  •ところが招待客(当時のユダヤ人)は畑や商売に多忙で、
メッセージに応答しない。
それは既得権益や自己保身のために神の言葉を受け止めなかった、
パリサイ人やサドカイ人達の姿であった。

  •「王は怒って、兵隊を出して、人殺しどもを滅ぼし、町を焼き払った」
とはAD70年エルサレム陥落を預言している。

  •ここまでは、第1と第2のたとえ話が教えている
ユダヤ人指導者の歩みとその結果の裁きとを描いているところと重複する。


❷ 第二のたとえ:神の国への招待が異邦人へ及ぶ(8~10)

  •「大通り」とは町の境界線にある四方へと伸びる道の分岐点。
そこは各国へと連なる幹線道路のジャンクションであり、
色取り取りの民族が行き交っている。

  •「出会ったものをみな宴会に招け」とは、
選民だけでなく全ての異邦人への宣教が始まる預言となっている。
その時代は使徒10章から開始される。

  •「良い人」でも「悪い人」でも、とにかく道端で出会った者達をみな集めた。

  •聖書には、信者が「悪い人」であると言及される箇所は一つもない

  •それは不信仰者のことであり、「毒麦」のことである(マタイ13:25)

  •ここで信者の中で善人・悪人と二分するものではないことに注意。
良い行いがどれほど積まれたか、といった人側の功績が救いを与えるのではない。

  •人は、信仰により誰もが義とされる。

  •そこに行いの入り込む隙間はない。

「 こういうわけで、
ちょうどひとりの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、
ひとりの義の行為によってすべての人が義と認められ、
いのちを与えられるのです。 」(Rom 5:18 )


❸ 第三のたとえ:王が祝宴会場に到着する場面:最後の審判(11~13)

  •今や披露宴が始まろうとするその時、
それまで見えなかった王が宴会場に姿を現す。
それは千年王国成就直前に、
人は神の前に立って裁きを受けねばならないことを教える預言である。

  •そこには「礼服を着ていない者が一人いた」
~当時の宴会会場には礼服が客人のために備えられていた。

  •それを拒否したとは、侮蔑行為である。
神の備えられた救いを拒んだ不信仰者の行為である。

  •「礼服」とは、イエスへの信仰による義の衣であると言える(イザヤ61:10)

  •また、天においてはメシアとの婚礼の場で聖徒らに
「光り輝く衣」が与えられると約束されている。(黙示19:8)

  •「外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ」とは、
不信者達が最後の審判を受けて後、火の池に投げ込まれること。マタイ8:12

  •それは信仰のない者(義の衣を着ていない者)の結末であり、
救いをどこまでも拒んだパリサイ人たちの行く末である。


主はパリサイ人らとの問答の中で、
これら第1から第3までのたとえを即興で作られて教えられた。

そこにはユダヤ人によるメシア拒否の今日的事象、
近未来に異邦人宣教が開始せられること、
そして歴史の最後の終末預言までが網羅されてある。

その現実把握力、
数十年後の未来予測術、
世の最終章を預言したメシアとしての知恵と力。

一流の作家なら(たとえば芥川龍之介)、
一晩かけて一つのたとえ話を組み立てられることもあるかもしれない。

しかし主は、数十分の短時間内にこれら全てを淀みなく話された。

 

文字とおりの神業でなくて何であろう。

それによりご自身の権威とその出処とを明らかとされた。

つまり、神殿の主としてのメシアの権威であり、
父なる神から託された権威であった。