「教会の携挙」①

ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。

メッセージノートはこちらから:


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「教会の携挙」①
マタイ24章36~42節、Ⅰテサロニケ4:13~5:10
~マタイ福音書連続講解説教75~


主イエスが地上に再び帰ってこられる(再臨)前に
信者を迎えに空中まで降りてこられる(携挙)。

それでは、一体その携挙に与るのは誰なのだろうか。
聖書は「教会」が携挙の対象であると教えている。


Ⅰ 教会とは何か

教会について、聖書には二つの概念がある。

1.見えない教会・普遍的教会・
霊的に新生した信者が構成員:マタイ16:18

2.見える教会・地方教会・
洗礼を受けて教会員名簿に記載されている人
(新生していない人も含まれる):マタイ18:17

携挙されるのは「見えない教会」であり、
これを他の聖書用語では

「新しく生まれた人」
「心の割礼を受けた人」
「神の子供とされた人」

等表現されている。
つまりはイエスをメシアとして信じ受け入れた人たちのことである。

その「見えない教会」の頭はメシアであり、
私たちは体を構成している肢体である(コロサイ1:18)。

その教会に加えれたとき、
頭なるメシアにつながった手段は

「聖霊によるバプテスマ」を
受けたときであると教えられている。

「なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、
奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、

一つの御霊によってバプテスマを受け、
そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。」
(1コリント 12:13)

このことはAD30年のペンテコステの日に
教会が誕生した際の歴史的経緯とも共通している。

*福音書時代は「教会」とは
将来に存在する組織体概念であった:マタイ16:18

*復活したイエスは
将来の「聖霊によるバプテスマ」を約束された:使徒1:5

*その聖霊のバプテスマを
弟子たちが受けて歴史上の教会が誕生した(使徒2章)

*その歴史第1号のエルサレム教会は、
見えない教会であるとともに見える教会でもあると言える。

*ところが、使徒2章にある教会誕生の記事には
「バプテスマ」が見出されない。

*しかし、使徒11:15~16で
その「バプテスマ」が言明されている。

*よって、当時の弟子たちも聖霊のバプテスマによって
メシアの体なる教会に加えられたことが分かる。

*以後の信者たちも、
’In Christ’「キリストにある」立場、
キリストの体なる教会にバプタイズされる(INTO)のは、
聖霊の働きによるものである。

*信者となったものがその経験的事実を象徴として
可視的に行う儀式が水によるバプテスマ(洗礼)である。

*携挙に与るのは教会であり、
旧約時代の聖徒や艱難時代の聖徒は含まれない。

*聖書の教える「教会」はペンテコステ以前には存在していないのだから。


Ⅱ 教会は携挙される

1) その目的:ヨハネ14:1~3

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。
神を信じ、またわたしを信じなさい。

2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。
もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。

あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。

3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、
また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。

わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」
(ヨハネ14:1-3)

*信者を主イエスが迎えるために来られる

*それは主イエスが帰られるところ(第3の天)に
我らを連れて行くためである

*ここは葬式のたびに引用される聖句であるが、
本来は死者を天に迎えることではなく携挙を教えている聖句である。

2) その携挙プログラム:Ⅰテサロニケ4:13~18

①イエスが天から降られて来る
父なる神の許しを得て主が天の御座を離れ、地球の上空に来られる。

②号令の声
最高司令官(メシア)が作戦(携挙)遂行のための命令を発する

③御使いの声
御使いのかしら、
すなわちミカエルがメシアの発した号令の言葉を復唱する

④神のトランペット
これは大艱難時代の7番目のトランペットではない。

当時のパウロの思考にあったのは
ラッパの祭りの際に最後に長く吹き鳴らされるラッパのことである。

tekiah gedolahと言われるもので、
Ⅰテサロニケ4:16と同じラッパである。

これが引き金となって、以後の携挙プログラムが執行される。

⑤キリストにある死者のよみがえり
“In Christ”、
見えない教会の肢体を構成している死去した信者が
先ず最初によみがえる

⑥生きている者たちが栄光のからだに変貌される
続いて存命中の信者が栄光の体に瞬時に変貌される。

その瞬時を表しているギリシア原語は”Atom”であり、
原子級の細微な瞬間で体のすべてが変貌されることを意味している。

⑦空中にいるイエスのところまで⑤と⑥とが引き上げられて主とお会いする
そして主とともに第3の天まで凱旋するのである。

信者となっても携挙に与る優良クリスチャンと
携挙に漏れてしまう落第クリスチャンとの二通りがある

と読み込む人もいるようであるが、それは聖書の教えではない。

キリストの体に聖霊によってバプタイズされた信者は教会の一員であり
すでに有機的にキリストに結びついているのである。

そのキリスト後自身がご自身の体である教会を天に迎え入れるために
来て下さるのである。