「幸い」ってなんでしょう?

マタイ福音書連続講解説教11   マタイ5章1~16節

「山上の垂訓」

 {メッセージからの抜粋}

 

 主は8つの幸いについて教えられました。
このそれぞれ節は、「マカリオス」という原語が冒頭に来ていて、しかも感嘆文となっています。
文語訳が実に良くこのあたりのニュアンスを訳出してあり、「幸いなるかな」と余韻を踏んでの書き出しとなっています。

 「ハピネス」(幸運、ラッキー)と違い、この語句には「祝福されている、恵まれたものよ」という意味があります。

   よく誤解されていますが、これは天国に入るための倫理道徳条件のリストでなく、天の御国で生きる市民の様子を描写したものなのです。
聖書でいうこの「天の御国」という概念もまた誤解されやすいところです。そこにある基本的概念は、「王の支配の及ぶ領域」というものです。

  主イエスを信じ受け入れた者の心中には、王なる主の支配があります。そのようなクリスチャン同士の交わりにおいてもまた、主の権威が及んでいます。それゆえ互いに赦しあい、愛しあう場となり、それが神の国と言われる所以です。
やがて将来、主の再臨の時に、この地上に見える形で主の王国の支配が全世界を覆うことでしょう。それもまた神の国のありかたです。

  つまり「神の国」(マタイでは「天の国」と呼ばれています)とは、現在成就していて信者が信仰により体験できるものであると同時に、将来、究極の大スケールで実現される希望でもあるのです。

  先日あるご婦人が20年以上前の「ハピネス」についてお話ししてくださいました。ハピネスをもう少しで掴みそうだった、と言った方が現実に近いかもしれません。
彼 女は毎週末に$5でLottoという宝くじを買っていたのです。その日も購入予定の番号を書き出していたら、たまたま息子さんがそれを見つけて「ママ、そ の番号は愚かしいよ」と言ったため、買いに行くことをしなかったのだそうです。後日、何とその番号こそが大当たりの3億円となったのを知りました。その瞬 間、彼女は悔しさのあまり髪の毛をかきむしり、側にあったソファーのクッションを部屋中に投げ散らしたのでした。
今となって彼女は「あの時クジに当たらないで良かったです。」と言っています。「もし3億円を手にしていたら、私はクリスチャンになれなかったですもん」と話してくれました。

  さて皆様は、主イエス様と3億円のどちらか一つを選べるとしたら、どちらを選びますか?
「もちろん主です」と即答できる人は「マカリオス」(何と幸いな人でしょう!)と言われるにふさわしい人です。
3億円という途方もない価値に勝る宝を見出して、そこに生きている方だからです。