名刺に印刷されてある肩書きで人を判断・評価出来るでしょうか?

マタイ福音書連続講解説教19  マタイ9章1~13節
「メシアの5つの力ある業―その①」

{メッセージからの抜粋}

マタイ福音書9章には、イエス様がなされた5つの論争が書かれています。本日は1番目のパリサイ派との論争、そして本福音書の著者であるマタイの召命について学びます。

ところで人間にとって最も恐ろしいこととは何でしょうか?
あなたの人生で最大の危機と言えるものがあるとすれば、それは一体なんでしょうか?

明日から私は聖地旅行に出発します。
イスラエル軍がガザ地区を攻撃しており、ガザからのロケットがイスラエル国内に着弾していることから、危険視される方がいます。
昨日、1人の方がそのことでキャンセルをされました。直前にキャンセルをされても、現地旅行料金が返金されないのです。
楽しみにしていた旅行も、数十万円の費用も捨ててしまうのは、命の危険を感じるからだと思います。

人間にとって死が最大の危機であり、忌むべきものであり、敵であります。死を前にすると、私たちは恐怖を感じざるをえないです。
その理由は、死の向こうにある何かを本能的に知っているからではないでしょうか?死が全ての終わりでなく、死後に神の裁きを受けなくてはならないと聖書は教えるのです。
罪を持っている人間は、その裁きの座に立ちないことを感じ取って恐れるのです。

パリサイ人との論争から、主イエスは私たちの罪を赦す権威を持っていらっしゃることが明らかとなりました。
中風で歩けない人を癒された主は、罪を赦すことができることをその場で示されました。その場に居合わせた人にとってより大きな奇跡(中風を瞬時に癒す)を示された今、より小さな事(罪の赦し)は言うまでもないことが明らかとなりました。これがラビしてのイエス様がなされた論法です。大きなことを克服できるなら、それよりも小さなことは言うまでもない、という論理です。

この論法に従って次のことが言えます。
主イエスにあって最大の敵である死を乗り越えた私たちは、今やその他の問題は楽勝であるというものです。
私たちには経済問題や家庭問題、社会での人間問題など、生きている限り不可避な問題が襲ってきます。
その時、死とその後の裁きについて主が勝利を与えて下さっいるのを覚えようではないですか。
これらはそれ以下の問題なのですから、これらのことについても助けをいただきながら乗り越えることができます。

次にマタイが弟子としてイエス様に呼ばれたことから、主が私たちの心を全てご存じであられることを学びます。
当時、取税人とは独特の響きを人々に与える職業人でした。
売国奴であり、汚れた者であり、村八分にされてその人間性までも疑われていました。
そのようなマタイに、主は声をかけられました。
主のお言葉に即座に応答していることから、彼がその時まで彼自身の人生について葛藤をしていた事が分かります。

それまでのマタイの価値観は、
❶聖書の神よりもローマ帝国の権威を優先し
❷同胞ユダヤ人との絆よりも一人ぼっちの経済的利益を優先し
❸来る千年王国よりも現世の生活を重視する刹那的なものでした。

そのような生き方に限界を感じていた彼に、主は弟子としての召しの声をかけられたのです。

主はあなたにも同様に声をかけて下さるお方であられます。
主はあなたの職業的肩書やレッテルで判断されずに、あなたの心の迷いや葛藤、あなたの本当の願いをご存知の上であなたに声をかけ、招いておられるからです。