どうしたならイエスから力を引き出すことができるでしょうか?

マタイ福音書連続講解説教20  マタイ9章18~26節
「メシアの5つの力ある業―その②」

{メッセージからの抜粋}

先日聖地旅行から戻ってきました。

イエスが十字架にかけられたゴルゴダの丘に、現在では聖墳墓教会が建っています。その十字架がしばらく保存されていたことをガイドさんから伺いました。やがて人々はその十字架を有り難み、細かく切り刻んでエルサレム中のキリスト教会に配ったのだそうです。各教会でばその小さな木片が神のように扱われ、偶像化していきました。

かつてモーセが荒野で上げた青銅の蛇もまた大切に保管され、これが人々の注目を集め、これが祈りや礼拝の対象と偶像化して行ったのでした。

今日もしイエス様の十字架が残っていたら、もしモーセの青銅の蛇が残っていたら、もし契約の箱が残っていたら、そこには大勢の観光客が群がり、それらを神のように有り難く扱ったことでしょう。

ところがそれ自体には、何の効力もご利益もありません。
ただの木片と鋼、工作物に過ぎません。

本日の聖書には、12年間も婦人病で苦しんでいる女性が出てきます。
「お着物に触ることができればきっと直る」(21)
そう考えた彼女がそっとイエス様の背後から着物の裾に手を触れました。
ルカの福音書の平行記事には、「するとたちどころに出血が止まった」とあります(ルカ8:44)。
そしてその瞬間イエス様ご自身も「力が出ていくのを感じた」とおっしゃっておられます(ルカ8:46)。

イエスのお着物自体に、特別な病を癒す効力があったわけではのです。
大勢の人々がイエス様の体をひしめき合って押していましたが、彼らには何の変化もありませんでした(8:45)。

それでは何が彼女にだけイエス様の癒しの力を働かしめたのか。
その理由を、主ご自身が明らかにされておられます。
「あなたの信仰があなたを直したのです(マタイ9:22)。」

彼女は主イエスを旧約聖書の預言するメシアであると信じました。
メシアであるならどんな不治の病も、死でさえも克服することのできるできる方である、というのがユダヤ人の共通理解です。

その彼女の主イエスに対する信仰が、病を直したのです。
ここで「直す」というギリシャ原語は、ローマ書の中で「救う」という言葉として使われているものと同じです。

すなわち私たちが主から救いをいただくのも、同じ原理です。
著名な説教者の感動する話や、洗礼という儀式が人を救うのではありません。
あなたの主イエスに対するメシア信仰が、あなたを罪から救うのです。
メシアとして主イエスは、
❶十字架により死に追いやられ
❷よみにまで下り
❸三日目に復活されたのです。